CHAPTER 14 京印章・京都
京印章の歴史|律令の官印・印判師・天皇御璽から伝統工芸まで
京印章の歴史を、律令で国の印の決まりができた8世紀から、いまの伝統工芸まで時代の順にたどります。平安京の官印、江戸の印判師、明治の天皇御璽など、京都の印章づくりの節目が分かります。時代の長さをひと目で見られる図と、歴史をふまえた印鑑の選び方もまとめました。
公開日: 2026年10月10日
印鑑を作ろうと調べていると、「京印章」という言葉に出会うことがあります。京都で作る印章に、なぜ特別な名前が付いているのか、気になった方もいるでしょう。理由は、千年以上にわたって都が置かれた京都の歴史にあります。この記事では、国の印の決まりができた8世紀から現在までをたどります。印章がどう作られ、どう使われてきたかを、時代の順に見ていきましょう。
京印章の歴史は、律令で国の印の決まりができ、平安京で天皇や役所の印が作られたところから始まります。鎌倉時代には京都の禅寺から新しい印の文化が広まり、江戸時代には印を彫る職人「印判師」が京都に生まれました。1624年には印判師が江戸へ移り、東京の印章づくりのもとになっています。明治7年(1874年)には、いまも国の文書に押される天皇御璽を京都の職人が彫りました。こうして受け継がれた技法と作風が、いまの京印章です。
印章の歴史を1本の帯で見る帯の長さは、それぞれの時代の長さに合わせています
- 702年律令で国の印の決まりができる
- 13世紀京都の禅寺から宋の印が広まる
- 1487年武将の印判状が現れる
- 1624年京都の印判師が江戸へ移る
- 1690年書物に印判師の仕事が載る
- 明治6〜7年庶民の実印と天皇御璽
- いま京都の伝統工芸として続く
律令の時代|国の印の決まりができる
日本の書物に印の制度が初めて現れるのは、大宝令が出された702年です。世界大百科事典によると、このとき「新印様を頒付」と記されました。新しい印の見本を配った、という意味です。2年後の704年には、溶かした銅を型に流して諸国の印を作り、各地の役所に配りました。
印の大きさも決められていました。天皇の印は「内印」と呼ばれ、一辺は3寸、約8.7cmです。印には「天皇御璽(てんのうぎょじ)」の4字が、篆書(てんしょ)という古い書体で2行に入ります。役所が使う「外印」は2寸半、約7.6cmで、天皇の印より大きな印を作ることは禁じられていました。
役所の印のほかに、家や個人が使う私印も作られるようになります。記録に残る最初の例は、758年の「恵美家印(えみけいん)」です。794年に都が京都へ移ると、天皇御璽や役所の官印は平安京で作られるようになりました。京都府によると、寺社に残る印のなかには、この時代に作られたものもあります。
平安時代|印を押す数が減り、手で書く花押が広まる
奈良時代の文書には、紙面に余白がないほど印が押されていました。平安時代の初めには数が減り、中ごろには、文書の冒頭と末尾、中央の3か所だけになります。終わりごろには印のないものが現れ、中世には、ほとんどの文書に印を押さなくなりました。
印の代わりに使われたのが花押(かおう)です。花押は、署名をもとにした、その人だけのサインで、筆で書きます。平安時代の中ごろから発達しました。印がふたたび広まるきっかけは、次の鎌倉時代に生まれます。
鎌倉〜室町時代|京都の禅寺から、新しい印が広まる
世界大百科事典によると、中国・宋の禅僧が使っていた印を日本に伝えたのは、鎌倉時代の聖一国師(しょういちこくし)です。聖一国師は、京都の東山にある禅寺、東福寺の僧でした。律令の時代の印は、銅を流して作る役所の印です。これに対して、禅僧の印は木に彫った個人の印でした。
- 律令の役所の印溶かした銅を型に流して作ります。天皇の印や役所の印、寺社の印がこの流れです
- 禅僧が伝えた宋の印13世紀に京都の東福寺から広まりました。木に彫る個人の印で、形も自由に工夫されました
- いまの実印・銀行印・認印世界大百科事典は、いまの個人の印を、この禅僧の印の流れをくむものとしています
14世紀になると、禅僧のあいだでは花押の代わりに印を押すことが多くなります。書や絵に作者が押す落款印(らっかんいん)も、禅僧から始まりました。書に押すようになったのは鎌倉時代、絵に押すようになったのは室町時代です。室町幕府の将軍、足利義満は、自分の号(本名とは別の名)を彫った印を、集めた絵画に押していました。書画の印については、落款印を贈る前に知っておきたいことでも紹介しています。
戦国〜安土桃山時代|武将の印判状が、京都から全国へ
戦国時代には、武将が花押の代わりに印を押した文書を出すようになります。これを印判状(いんばんじょう)と呼びます。最初の例は1487年、駿河(いまの静岡県)の今川氏親が出したものです。はじめは東国の大名のあいだで広まりました。花押より手早く、同じ内容の文書をたくさん出せるのが利点でした。
印判状が東国の外へ広まるきっかけは、織田信長の京都への進出でした。信長が印に彫った「天下布武」の4字はよく知られています。続く豊臣秀吉の天下統一によって、全国で使われるようになります。秀吉は太政大臣になった1586年に、「豊臣」と彫った純金の印を持つようになりました。一辺は約8.9cmで、律令の天皇の印をわずかに上回る大きさでした。
印に彫る文字も変わっていきます。徳川家康は、はじめ「福徳」や「忠恕(ちゅうじょ)」といった言葉を印に彫りました。のちには「源家康」のように、自分の姓と名を彫るようになります。名前を彫った印を本人のしるしにする考え方は、いまの実印と同じです。
江戸時代|京都に印判師が生まれ、江戸へも移る
江戸時代になると、印は庶民の暮らしにまで広まります。京都府によると、注文が急に増えたことで、印を彫る職人の印判師(いんばんし)が生まれました。日本で最初の印判師ともいえる人が住んでいたのは、京都の三条室町のあたりです。こうして京都は、印章づくりの中心地になっていきました。
1690年の書物『人倫訓蒙図彙(じんりんきんもうずい)』には、「印判師 水牛をもってこれを作る」とあります。いまと同じように、水牛の角が印材(印鑑の素材)に使われていたことが分かります。
京都の印判師は、江戸の印章づくりのもとにもなりました。経済産業省によると、寛永元年(1624年)に京都の職人が江戸へ移り、将軍や幕府、大名の印を作るようになります。こうした職人は「御印判師」と呼ばれました。この流れをくむ東京の手彫り印章は、2025年に国の伝統的工芸品に指定されています。
このころ、庶民がふだん使う印は認印でした。世界大百科事典によると、庶民は朱肉を使うことを禁じられ、黒い印肉だけが許されていました。東京都の紹介によると、村では名主(なぬし)が農民の実印を「印鑑帳」に登録していました。必要なときに照らし合わせるためで、いまの印鑑登録に近い仕組みです。
明治時代|庶民の実印と、京都で彫られた天皇御璽
明治に入ると、印をめぐる決まりが大きく変わります。庶民が朱肉を使えるようになったのは、明治元年(1868年)の9月からです。さらに明治6年(1873年)10月1日には、太政官布告(だじょうかんふこく)という当時の法令が出ます。これで、すべての国民が実印を使えるようになりました。この布告にちなんで、10月1日は「印章の日」とされています。
国の文書に押す天皇御璽を、京都の職人が彫りました
明治7年(1874年)、天皇御璽と大日本国璽(だいにっぽんこくじ)が新しく作られました。国の命を受けて彫ったのは、京都の中京に住んでいた安部井櫟堂(あべいれきどう)です。1年がかりの仕事で、印は純金製です。京都府によると、重さは4.5kgにもなります。その前の御璽と国璽を作ったのも、京都の中村水竹という職人でした。
宮内庁によると、御璽は詔書(しょうしょ)や法律・政令・条約の公布文などに押されます。国璽を押すのは、勲章とともに渡される勲記です。2つの印はいまも宮内庁侍従職で保管され、国の文書に使われています。彫られているのは、漢印篆(かんいんてん)という、中国・漢の時代の印にならった書体の字です。
明治23年(1890年)には、京都の印章の専門家が30軒ほどに増え、「京都板面彫刻業組合」ができました。これが、いまの京都府印章業協同組合のもとになっています。
いまの京印章|伝統工芸として受け継がれる技
京都の印章づくりは、いまも伝統産業として続いています。京都府は京印章を「京もの指定工芸品」に指定し、京都市も市の伝統産業の1つに決めています。「京印章」という名前は、商標として登録されています。
京印章の作風の特徴は、漢印篆を主にした重厚な字です。京都府によると、京都では重みと味わいのある印章が多く作られています。特許庁は、関東の印章とは作風が対照的だと紹介しています。彫り手は、厚生労働省の技能検定に合格した技能士などの職人です。京都府の紹介では、60人あまりの技能士が京都で活躍しています。
下鴨神社には、印章を守る神をまつる印璽社(いんじしゃ)があります。京都府印章業協同組合は、ここで印章祈願祭を開いています。京印章の特徴や職人の技については、京印章とは?で詳しく説明しています。
京印章の歴史をふまえた印鑑の選び方
ここまでの歴史は、いま印鑑を選ぶときの手がかりにもなります。京都らしい印鑑にしたい方は、次の3つを参考にしてください。
よくある質問
京印章は、いつから作られているのですか
京都の印章づくりの歴史は、平安京の時代にさかのぼります。印を彫る職人の印判師が京都に現れたのは、江戸時代です。いまは京都府の京もの指定工芸品になっていて、「京印章」の名前は地域団体商標に登録されています。
天皇御璽は、いまも明治時代の印を使っているのですか
はい。京都府によると、明治7年に京都の安部井櫟堂が作った天皇御璽と大日本国璽が、いまも国の文書に使われています。2つの印は、宮内庁侍従職で保管されています。
印章の日が10月1日なのは、なぜですか
明治6年10月1日の太政官布告で、すべての国民が実印を使えるようになったことにちなんでいます。京都では、印璽社のある下鴨神社で印章祈願祭が開かれています。
京都の印章と江戸(東京)の印章は、関係がありますか
あります。経済産業省によると、1624年に京都の職人が江戸へ移り、将軍や大名の印を作るようになりました。この流れをくむのが、東京の手彫り印章です。特許庁は、いまの京印章を「関東の印章とは作風が対照的」と紹介しています。
ダルマ屋印房の印鑑は、京印章ですか
当店は、京印章の販売を認められた「京印章制作處」です。職人の池上翠雲も「京印章制作士」の認定を受けています。通常の印鑑には、京印章であることを示す京印章証明書をお付けしています。本象牙の印鑑には象牙認定書を、開運印鑑には鑑定書をお付けします。
まとめ|京印章の印鑑を注文するときに決める順番
まず、何本作るかを決めます。実印・銀行印・認印をまとめて作るなら、3本セットにすると、3本を同じ素材でそろえられます。次に、その素材を薩摩本柘や黒水牛などから選びます。最後に書体です。京印章らしい重厚な印影にしたい方には、実印は篆書体(太)、銀行印は篆書体(細)がおすすめです。彫る前の印影を確かめたい方は、ご注文の画面で「印影のご確認」の「確認する」を選んでください。
京印章らしい篆書体で、実印と銀行印を作る
京印章制作士が、お名前に合わせて字の配置を決め、1本ずつ制作します。通常の印鑑には京印章証明書が付きます。印鑑ケース付き、送料無料、5年保証です。書体を変えても、価格は変わりません。


