CHAPTER 14 京印章・京都
伏見と印章文化|城下町・銀座・港町に残る印の歴史と印章店
京都・伏見は、豊臣秀吉が開いた城下町であり、淀川の船が行き交う港町でした。武将の印判状、銀貨の極印(ごくいん)、過書船の印など、伏見の歴史に残る印を紹介します。大正15年から伏見で印鑑を作り続ける印章店、ダルマ屋印房への立ち寄り方もご案内します。
公開日: 2026年10月10日
伏見と聞くと、伏見稲荷大社の鳥居や、酒蔵が並ぶ町並みを思い浮かべる方が多いでしょう。伏見は豊臣秀吉が開いた城下町で、江戸時代には京都と大坂を結ぶ港町として栄えました。人とお金と荷物が集まるこの町では、信用のしるしに印(はんこ)が使われてきました。この記事では、伏見の歴史に残る印を順に紹介します。伏見で印鑑を作り続けてきた当店のことも、あわせてお話しします。
伏見の歴史には、3つの印が出てきます。1つ目は、伏見城の時代の武将が、印判状(いんばんじょう)という文書に押した印です。2つ目は、徳川家康が伏見に置いた銀座で、銀貨に打たれた極印(ごくいん)です。3つ目は、淀川を行き来した過書船(かしょぶね)の〈過〉の印です。どれも、だれが出したのか、本物かどうかを示すための印でした。当店ダルマ屋印房は大正15年に伏見稲荷の麓で創業し、いまも伏見で印鑑を作っています。
伏見はどんな町だったか|城下町・港町・酒どころ
伏見は、京都・大坂・奈良・近江(いまの滋賀県)を結ぶ中継地にあたります。木津川・宇治川・桂川・鴨川が流れ込み、水路でも陸路でも交通の要所でした。京都市伏見区役所によると、豊臣秀吉は文禄元年(1592年)に伏見城を築きはじめました。文禄3年(1594年)には、建築資材を運ぶために伏見港を開いています。
城下町づくりも、文禄3年から一気に進みました。武家屋敷、寺社、町家、道路が区画され、いまの町の原型ができました。町人が住む地区の中心は、南北に通る京町通と両替町通です。全国から集められた大名に呼ばれて、商人や職人も住むようになりました。
伏見城の時代|武将が印を押して出した印判状
戦国時代の武将は、花押(かおう)という手書きのサインの代わりに、印を押した文書をよく出しました。これを印判状(いんばんじょう)と呼びます。印判状は、織田信長や豊臣秀吉の時代に全国へ広まりました。世界大百科事典によると、秀吉は1586年に豊臣の姓を受け、「豊臣」と彫った純金の印を持つようになりました。一辺が約8.9cmもある大きな印でした。
秀吉が亡くなったあと、伏見城で政治をとったのが徳川家康です。家康は、はじめ「福徳」や「忠恕(ちゅうじょ)」といった言葉を彫った印を使いました。のちには「源家康」のように、自分の姓と名を彫った印に変えています。名前を彫った印で本人を示すという考え方は、いまの実印にも通じます。
伏見に置かれた最初の銀座|銀貨に打たれた極印
「銀座」と聞くと東京の繁華街を思い浮かべますが、もとは江戸幕府の銀貨を作る所の名前でした。デジタル大辞泉によると、銀座は慶長6年(1601年)に伏見に設けられ、のちに京都や江戸にも置かれました。世界大百科事典には、伏見の銀座が1608年に京都へ移ったとあります。
銀座ができる前は、産地や作り手によって質の違う銀が出回っていました。商人どうしの取引では、不便やもめごとが絶えなかったといいます。そこで、質をそろえた銀貨を作るために銀座が置かれました。銀貨を作り、極印(ごくいん)という印を打つ役目は、堺で銀を扱っていた商人の大黒常是(だいこくじょうぜ)が受け持ちました。百科事典マイペディアによると、銀貨には「大黒印」が極印として打たれました。
極印とは、品質を保証したり、偽物を防いだりするために打つ印のことです。日本大百科全書によると、江戸時代には銀貨のほかにも、さまざまな品に極印が打たれました。品ごとに、極印を打つ役所や家が決まっていました。
金貨・銀貨
品質を保証する印です。お金を扱う両替屋も、目印として極印を打ちました
秤(はかり)
西日本35か国の秤には、京都の秤座を受け持つ神(じん)家の印が打たれました
分銅
重さを量るおもりにも、正しい重さだと示す印が打たれました
船と材木
川船や、海で荷を運ぶ船、幕府や藩が伐り出した材木にも打たれました。海を行く船の印は、航行の許可証にもなりました
極印は、印を見れば中身を信用できる、という仕組みでした。登録した印影で本人を確かめる実印も、印で信用を示す点では同じ考え方です。
港町の印|淀川を行き交った過書船
伏見港は江戸時代、京都と大坂を結ぶ水運の拠点として栄えました。京都市伏見区役所によると、港には過書船(かしょぶね)と呼ばれる幕府公認の船や、三十石船、二十石船が行き交いました。港の中心は京橋のあたりです。西国の大名が参勤交代で船を乗り降りしたため、宿となる本陣や脇本陣も置かれました。
「過書」とは、関所を通るための手形のことです。過書船という名前は、もとはこの手形を持つ船という意味でした。世界大百科事典によると、1598年に秀吉が朱印状(朱色の印を押した文書)で過書船の営業を認めました。1603年には家康も改めて認めています。百科事典マイペディアには、過書船が船腹に〈過〉の字の印を打っていたとあります。
享保のはじめ(1710年代後半)には、人を乗せる三十石船が671艘(そう)、荷を運ぶ二十石船が507艘ありました。川をさかのぼる上りは1日かひと晩、下りはその半分ほどで、京都・伏見と大坂のあいだを行き来しました。
伏見の港と京都の町を結んだのが、高瀬川です。伏見区役所によると、この川を開いたのは角倉了以(すみのくらりょうい)です。朱印船の貿易で財を築いた商人で、1611年に二条木屋町から水路を通しました。川はさらに南へ延ばされて淀川とつながり、京都と大坂を船で行き来できるようになりました。伏見港は、その中継地としていっそうにぎわいました。
- 1京都・二条木屋町高瀬川の起点です
- 2高瀬川角倉了以が1611年に開いた水路です
- 3伏見の港京橋のあたりが中心で、ここで船を乗り換えました
- 4淀川〈過〉の印を打った過書船が行き交いました
- 5大坂伏見からは、下りの船で半日ほどでした
酒どころ伏見と、明治・大正の町
伏見はかつて「伏水(ふしみ)」とも書かれ、良質な地下水が豊かな土地として知られていました。この水を生かして、酒造りが発達しました。いまも全国有数の生産量をほこり、伏見を代表する産業になっています。
明治時代に鉄道が通ると、伏見の水運はおとろえていきました。代わりに町を支えたのが酒造りです。伏見区役所によると、大正時代には酒造業が大きく伸び、昭和4年(1929年)に伏見市が生まれました。2年後の昭和6年には、深草町などとともに京都市と合併し、いまの伏見区になっています。
印の世界でも、明治は大きな転換点でした。明治6年(1873年)10月1日の太政官布告(当時の政府が出した法令)で、一般の人も実印を使えるようになりました。山梨県の紹介によると、この布告をきっかけに印章の需要が急に増えたといいます。書類に実印を押して約束を交わす習慣は、この時代から暮らしの中に広まっていきました。
伏見稲荷の麓で創業した印章店、ダルマ屋印房
当店ダルマ屋印房は、大正15年(1926年)に伏見稲荷大社の麓で創業しました。伏見稲荷大社は、商売繁盛や五穀豊穣の神様をまつる神社として知られています。いまの伏見区が生まれたのは、創業から5年後のことです。
初代の池上喜三郎は、失敗しても立ち上がる「七転び八起き」の願いを込めて、屋号を「ダルマ屋印房」と名付けました。いまは、京阪本線の伏見桃山駅から歩いて5分ほどの、伏見区風呂屋町で店を開いています。京都で受け継がれてきた印章づくりは「京印章」と呼ばれ、職人の池上翠雲は「京印章制作士」に認定されています。店も「京印章制作處」の認定を受けています。店の歩みはダルマ屋印房の沿革でご紹介しています。
伏見を訪ねたら|酒蔵の町歩きと印鑑の相談
伏見稲荷大社や酒蔵の町並みを訪ねる方は、当店にもお立ち寄りください。印鑑のご注文やご相談を承っています。ただし、印鑑は職人が1本ずつ作るため、その日のうちにはお渡しできません。通常はご注文から3〜7営業日で発送し、ご自宅までお届けします。送料は無料です。
年始はお休みをいただきます。営業時間内でも、時間帯によっては職人が店にいないことがあります。職人に直接相談したい方は、お電話かお問い合わせフォームで前もってご連絡ください。
店へは、京阪本線の伏見桃山駅から徒歩5分、近鉄京都線の桃山御陵前駅から徒歩7分です。京都市バスなら、「西大手筋」で降りて3分ほど歩きます。駐車場は1台分で、近くにコインパーキングも多くあります。
来店の前に決めておくと、相談が早く済むこと
- 作る印鑑と本数 実印・銀行印・認印のどれを作るかを決めます。3本そろえるか、いま必要な1本だけにするかも考えておきます
- 彫る名前の正しい字 実印は、住民票に記載されている字で彫ります。お名前に旧字や異体字がある方は、住民票の写しがあると確実です
- 届け先 旅行中にご注文の方は、ご自宅など、受け取れる住所をお知らせください
京都で印鑑を作る方法は、店で相談して注文するか、通販で頼むかの2通りです。それぞれの流れは京都で印鑑を作るならで説明しています。
よくある質問
伏見の銀座は、東京の銀座と関係がありますか
あります。銀貨を作る銀座は、1601年に伏見に設けられたのが最初で、のちに江戸にも置かれました。東京の「銀座」という地名は、江戸に置かれた銀座に由来します。
極印と実印は、同じものですか
違います。極印は、お金や秤などの品質を保証するために打った印です。実印は、市区町村に登録した個人の印鑑です。ただ、印で信用を示すという考え方は共通しています。実印の役割は実印とは?で説明しています。
伏見の店に行けば、その日に印鑑を受け取れますか
その日のお渡しはできません。職人が1本ずつ作るため、通常はご注文から3〜7営業日で発送します。お急ぎの場合は翌日に発送できることもありますので、前もってご相談ください。
伏見から遠くに住んでいても、注文できますか
はい、全国どこからでもご注文いただけます。このサイトのほか、お電話、FAX、メールでも承ります。送料は、北海道・沖縄・離島を含めて無料です。
伏見の酒蔵めぐりと一緒に立ち寄れますか
はい。当店は伏見桃山駅の近くにあります。酒蔵の町並みが残る南浜のあたりと同じ、伏見の町なかです。酒蔵めぐりの行き帰りに、お気軽にお立ち寄りください。
まとめ|伏見の店で印鑑を作るときの段取り
はじめに、作る印鑑と本数、彫る名前の字を決めておきます。職人に相談したいときは、来店する日時をお電話かお問い合わせフォームでお知らせください。店では、印材を手に取って選び、書体と大きさを決めます。印鑑は後日のお届けになるので、旅行中の方は受け取れる住所をお伝えください。伏見まで来られない方は、通販でも同じ印鑑をご注文いただけます。
伏見の職人が彫る印鑑を、全国へお届けします
京印章制作士が、お名前に合わせて1本ずつ制作します。印鑑ケース付き、送料無料、5年保証です。彫る前に印影を確かめることもできます。
実印・銀行印・認印の3本セット21,700円〜伏見桃山駅から徒歩5分
平日 9:30〜18:00。第1・第3・第5日曜と祝日は 12:00〜17:00。土曜と第2・第4日曜は定休日です。
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